長崎で出会った、「当たり前の暮らし」のかたち(インターン記vol.1)
こちらの記事は、南高愛隣会で長期インターン中をしている大学生の山本さんが、南高愛隣会での様々な職場での体験を通して得た気づき・学びを紹介する「インターン体験記」です。本連載はnoteでも連載中です。
■ インターン始まりの夜
「もっと、思いっきりバットを振って!!」「走って!走って!!」
10月の中旬。羽織を着ても少し肌寒さを感じる夜に、私は利用者さんのソフトボールクラブに参加していました。職員が一人と、利用者さんが20人程度。職員があれこれと指示をするのではありません。クラブのメンバー同士が声を掛け合い、地域のシニアの方を監督として毎月練習をしています。
練習終わりにグラウンドを整備するときには、新入りの私に「やり方わかりますか?」と声をかけてくださる利用者さん。ベンチでの水分補給中には、「最近〇〇ちゃんと別れた。」なんて話をしてくださる方もいます。
社会福祉法人・南高愛隣会でのインターンは、利用者さんからソフトボールのコツを教わりながらグラウンドを駆け回り、翌日に程よい筋肉痛を残す夜に始まりました。
■「暮らしの場」グループホームへ
私がこれから半年間を過ごす南高愛隣会が知的障害者を支援する取り組みは、1978年、長崎県の雲仙市瑞穂町で始まりました。海と山に囲まれた自然豊かな土地で、食べ物は美味しいものばかり。東京生まれ・東京育ちの私にはとても魅力的に映ります。インターンの一番はじめは、「暮らしの場」であるグループホームでの支援に入ることとなりました。
障害のある人が暮らすグループホームは、2人から10人ほどの少人数で過ごす家であり、利用者さんが必要とする支援に応じて職員が毎日訪問します。朝には「行ってきます」と言って職場などの活動場所へ出かけ、夕方には「ただいま」と帰ってくる場所です。南高愛隣会には、一軒家やアパートの一室を借りたグループホームが長崎県内に約160棟あり、そこで利用者さん一人ひとりが暮らしを営んでいます。
私たちの一人ひとりの「暮らし」は、たくさんの経験が詰まっています。食事や睡眠をとるだけではなく、趣味やお出かけ、叶えたい目標やそのための努力。人と一緒に過ごしたい時間、一人でゆったりと過ごしたい時間。
私はこの場所で、過去から現在へと続く利用者さんそれぞれの豊かな経験に触れているような心地がしました。
■ 誕生日のお祝い
坂の上から小道に入ると、5人の利用者さんが暮らすホームがあります。
比較的手厚い支援を必要とする方が住んでいるところで、夜には緊急時に対応できるよう宿直者が泊まります。私も最初の週に宿直を勉強させていただくことになっており、まずは利用者さんにご挨拶をしました。
利用者さん一人ひとりのお部屋のドアをノックしてお邪魔すると、中は皆さんそれぞれの「好きなもの」で埋め尽くされています。大事にとってある昭和のレコード、得意だという折り紙、手作りした可愛らしいお皿、職員にもらったバースデーカードなど、お気に入りのものをたくさん見せてくださいました。
手作りのお皿と職員にもらったバースデーカードを見せてくださった〇〇さん。とても穏やかな笑顔が印象的な方です。最近誕生日を迎えられたといい、「何歳になったんですか?」とお聞きすると、「35歳。」とおっしゃっていました。職員さんが「サバ読みましたね」と突っ込みをしたので、「あれ?」ともう一度お尋ね。「ほんとは63歳です(笑)」と訂正していました。
後日、ホームで行われる田中さん(仮名)の遅めのお誕生日会に、私も参加させてもらうこととなりました。
「田中さん、来週のお誕生日会、私も行きますね。準備のお買い物も一緒に行かせてください。」
初めてお会いしたときのように頬を緩めて「嬉しかです。」とおっしゃる田中さんの表情に、思わず私も笑みがこぼれます。
待ちに待ったお誕生日会当日。折り紙が得意な利用者さんと私は、動物や乗り物など、色とりどりの作品を壁へ飾り付けしました。
ケーキを待ちきれずにソワソワしている利用者さん、お皿に取り分けている途中のお菓子をつまみ食いしようと狙う利用者さんもいます。利用者さん同士、「〇〇さんはつまみ食いするからこっちの席がいいよ!」「〇〇さんにこれ2つあげる!」などと言いながら賑やかに準備をしています。
やっと準備が終わると、皆さんでハッピーバースデーの曲を歌い、ケーキやお菓子を食べました。「次のお祝いはクリスマスかな?」「何ケーキにしましょうか?」とお話している方、自分の分を早々に食べ終えて笑顔でお部屋に帰られる方など、みなさんマイペースです。お祝い事のたびにやってくるイベントをいつも楽しんでいらっしゃるようでした。
■ グループホームができるまで
誕生日をみんなでお祝いすること、好きなもので部屋を満たすこと。障害のある人にとって大切な「当たり前の暮らし」は、歴史のなかで、「当たり前」とされてきませんでした。現在でも、必ずしも「当たり前」になっているとは言えないのかもしれません。
法人がスタートした1978年当時は「措置制度」と言われていた時代です。障害のある人は、本人の意思とは無関係に、山の中にある入所施設へ入って何十人という大人数で暮らすことを、行政からの「処分」として決められていました。南高愛隣会は、障害のある人の「普通の暮らし」を実現するため、全国に先立って「地域で暮らすこと」「地域で働くこと」を実現し続けてきた法人です。
1985年、最重度・高齢の利用者さん5人と共に入所施設を出て、自ら利用者さんとの共同生活を始めた松村真美さん。現在のグループホームの原型です。施設では全員同じものだった茶碗やカーテンを一人ひとりの好きな色や大きさにするため、共に買い物へ出かけました。一番初めの夜に、すやすやと寝息を立てる利用者さんのよだれの海を見たとき、「あーこれだ。50人の施設では安らぎがなかったんだ。安らぎが欲しかったんだ。」と実感したといいます。
■ パートナーとの生活
利用者さんの中には、結婚されている方、ペア生活をされている方も多くいます。私は、そのなかから9組のお家へと向かいました。
「グループホーム」といっても、見た目には全くそれとわからない、地域の中にある「普通」のアパートに二人暮らし。服薬の確認やお金の管理、困りごとの相談など必要な支援のために、職員が毎日訪問します。
インターホンを押してお家にお邪魔すると、みなさん笑顔で迎えてくださいました。二人でテレビを観ていたり、ミカンを食べていたり、家庭用のカラオケをしていたり。自己紹介の後にお話を聞いてみると、お互いの好きなところ、結婚式のこと、日々の喧嘩のことなど、アルバムの写真を取り出しながらお話してくださいました。時には少し照れた様子で、時には懐かしそうに、時には誇らしそうに、様々な表情で二人の軌跡を語ってくださいます。
パートナーとの結婚生活を送る渡辺あきこさん(仮名)は、お菓子作りがとても上手。初めての訪問では、「最近はロールケーキにはまっているの。」と言い、パートナーのゆうとさん(仮名)の誕生日に作ったロールケーキの写真を見せてくださいました。
次の訪問で、結婚するにあたって大変だったこと、嬉しかったことなどを聞いていると、渡辺さんの義理の父母にあたるパートナーのご両親のことを教えてくださいました。「お義母さんが、『あきこちゃん、焼き肉食べたい?』って。すっごく優しく聞いてくれるの。」「それでね、『ああ、焼き肉もいいなあー』って思った。」「お義母さんもお義父さんも、みんな可愛がってくれるの。」「自分のお母さんは病気で亡くなったけど、一人ぽっちじゃないなーって。」
周りの人を思い遣り、人と人との繋がりを大切にしている渡辺さん。お菓子作りに励んでいるわけも、「みんなの喜ぶ顔が見たいの。」といいます。初訪問の翌週には、私にもクッキーを作ってくださいました。サクサクとしたリンゴと紅茶のクッキー。甘いカフェラテと一緒にいただきました。
バレンタインの時期になると職員にもお菓子作りを教えてくれるといいます。「私も教わりたいです!」と伝えると、今度の2月の「生徒さん」にしてくださいました。
数日後には、パートナーのゆうとさんを「生徒さん」にして、一緒に支援者の誕生日を祝うケーキを作ったようです。「今回はチョコレートではなくてフルーツをトッピングしたの。」とお話されていて、美味しそうなケーキの写真を見せてくださいました。
■ 「願い」から「当たり前」へ
南高愛隣会は、障害のある人が愛する人と共に暮らすことを、法人として積極的に支援してきました。法人独自の事業として「結婚推進室 ぶ~け」を立ち上げ、「パートナーがほしい」という利用者さんには、出会いの場をセッティングしたり、SNSの使い方やお互いの身体の仕組みのこと、相手の気持ちを考えることを学ぶ講習を行ったりしています。好きな人と一緒に出かけたい、一緒に住みたい、といった希望のある利用者さんに対しては、その方法や生じる困難、必要なお金の準備などについて、本人と一緒に考えます。
利用者さんが「愛する人」「一緒に暮らしたい人」は、親や兄弟、パートナーなど人それぞれ。施設入所のために若くして故郷を離れた利用者さんのなかには、故郷に帰りたい、親の元へ帰りたいという願いを持つ方がいます。パートナーがいる利用者さんの中には、同じ屋根の下で一緒に暮らしたいと願う方がいます。
支援者は、利用者さんそれぞれの願いを「当たり前の」「普通の」暮らしとして叶えようと常に作戦を立て、「困っていること」を一つひとつ解決しています。
「周りの人に喜んでもらいたい。」「ソフトボールクラブに入ってプレーをしたい。」「お誕生日をみんなにお祝いしてほしい。」「愛する人と共に暮らしたい。」
小さなものから大きなものまで、昔のことから今のことまで。利用者さんそれぞれの願いや困難、努力のお話を聞き、そして今その一瞬に立ち会えていることは、私にはとても幸せに感じられました。
私自身が、この場所での「当たり前」に大きく心を動かされている。そのこと自体に、こうした暮らしが本当の「当たり前」になる道の途中なのかもしれない、と思わされます。